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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)11752号 判決

原告

田山文子

外三名

代理人

倉内節子

被告

学校法人慶応義塾

右代表者

永沢邦男

代理人

扇正宏

外二名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

一  申立

(一)  原告ら

(1)  第一次請求

原告らが被告に対し、被告経営の慶応義塾大学病院の看護婦としての労働契約上の権利を有することを確認する。

被告は原告らに対し、それぞれ別紙債権目録の支払日欄記載の各期日限り、同目録債権額欄記載の各金員および昭和四四年九月以降復職に至るまで毎月一九日限り、それぞれ金四六、九三三円の金員ならびに右各金員に対する各支払期日の翌日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決ならびに第二項につき仮執行の宣言を求める。

(2)  予備的請求

被告は原告らを被告経営の慶応義塾大学病院に看護婦として採用しなければならない。

訴訟費用は被告の負担とする。

(二) 被告

主文同旨の判決

二  請求原因

(一)  被告は、私立学校法第三条によつて設立された学校法人であり、慶応義塾大学医学部の附属として、厚生女子学院(以下単に学院という。)を設置し、学院は、慶応義塾の教育方針にのつとり、看護婦に必要な学術技能を習得させることを目的としている。

原告らは、いずれも昭和四〇年四月学院本科課程に入学し、昭和四三年三月一三日第五六回生として学院を卒業し、看護婦国家試験に合格した。〈以下省略〉

理由

一請求原因第一項記載の事実は、当事者間に争いない。

二意思表示による契約の成立

〈証拠〉によれば、原告らは、知人の紹介または受験雑誌により学院の存在を知り、学院を卒業すれば、病院に看護婦として採用されるものと信じ、これを期待して学院に入学したこと、学院の行事である入学式、載帽式または卒業式などの際には、学院長(慶応義塾大学医学部長または病院長が兼務することもある)や病院の総婦長などが、学院生に対して、卒業後は病院に看護婦として勤務して働いてもらいたい旨要望し、また原告らが病院で実習した際も、病院の婦長や看護婦などが、しばしば原告らに対して同様な希望を述べていたことが認められる。

しかし、前記学院長または総婦長などが被告のために債務を伴う原告ら主張のような契約(第一次および予備的各請求原因において主張する両契約をいい、以下これに準ずる。)を締結する権限のあつたことについては、主張立証がない。しかも、前記学院長らの要請は、それがなされた機会に徴し、式辞または祝辞としてなされたものと考えられるが、このような一般学生を対象とする式辞などを法律効果を伴う意思表示と解するためには、特別の事情がなければならないのみならず、後記学院卒業生の進路の項に認定した事実と〈証拠〉によれば、前記学院長らの発言は、病院の慢性的な看護婦不足の状況にもかかわらず、学院卒業生の多数が他の病院、診療所などに就職し、病院の看護婦が依然として充足されないため、学院生一般に対して学院卒業後は、できるだけ他の病院などに就職せず、被告病院に就職してもらいたいという希望を儀礼的に開陳したに過ぎないものと解すべきであつて、これをもつて原告ら主張の契約締結の意思表示と解することはできない。また原告らが病院への就職を希望して入学したことは前認定のとおりであるが、原告らが被告に対し、原告ら主張のような契約締結の意思表示をしたことを認めるに足りる証拠はない。

原告らが昭和四二年一二月一〇日学院に対し、戸籍謄本、履歴書、写真などとともに病院に就職を希望する旨の調査書を提出したことは、当事者間に争いなく、〈証拠〉によれば、被告は、原告ら第五六回生の学院卒業見込の者で病院に看護婦として就職を希望する者には、学院を通じて前記調査書などとともに身元保証書の提出を要求したこと、原告らは、被告から交付された身元保証書の用紙に原告らと連署して保証人各二名の署名捺印を得て、その頃調査書などとともにこれを被告に提出したこと、この保証書の冒頭には不動文字で、「此の度貴塾へ就職しましたに就ては私達が保証人となり就業規則並びに其の他の諸規程等を遵守させ決して貴塾に対して御迷惑をかけることは致させません。本人の行為により貴塾に損害を与えた場合は保証人等において本人と連帯して弁済の責を負担致します。」と記載されていることが認められる。

身元保証書は通常雇用契約締結に際して保証人から雇主に差入れられることを考えると、右の事実は、一見原告らと被告との間に、雇用契約またはこれに類似する契約が締結されたことを推認させる間接事実と認められるようである。しかし〈証拠〉によれば、被告は、以前は病院に看護婦として採用を決定した後に、看護婦から身元保証書を提出させたが、看護婦のうちには採用後数か月もこれを提出せず、病院の事務処理上支障を生じたこともあつたので、原告ら第五六回生に対しては進路希望調査書の提出と同時に、病院への就職希望者全員に身元保証書の提出を要求したものであること、殊に進学を第一志望とし、進学が不合格となることを慮つて病院への就職を第二志望とした者に対しても、同様に身元保証書の提出を要求したことが認められるのである。そうすると身元保証書の提出は、将来雇用契約締結時の事務処理の便宜上予め提出を求められたものといわなければならないから、これにより原告ら主張の契約の締結を推認することはできない。その他原告ら主張の契約の締結を認めるに足りる証拠はない。

もつとも、前認定の事実によれば、原告らが被告に対してした病院に就職を希望する旨の調査書の提出は、雇用契約締結の申込みの意思表示と解せられるが、これに対して被告が承諾したことについては主張立証がない。かえつて被告が昭和四三年二月一〇日原告らに対し、原告らを病院看護婦として採用しない旨通知したことは当事者間に争いないから、これにより原告らの申込みの意思表示は失効したわけである。労働基準法第三条の規定する労働条件には、雇用契約の締結すなわち労働者の雇入を含まないと解すべきである。けだし、使用者が労働者を公募する義務を負わないのに、刑罰(同法第一一九条第一項)によつて雇入の均等待遇を強制されることは、使用者に酷であつて均衡を失するからである。そうすると私人または私企業が労働者の信条を理由としてその雇入を拒否しても、それが法律に違反するが故に無効であるという結論は生じないし、ましてや逆に承諾があつたということになる道理はないから、原告ら主張の労働契約締結の事実を確定するために、本件不採用の理由を論及することは無意味である。

三慣習による契約の成立

事実たる慣習は、法律行為の内容となることによつて、はじめて法律行為解釈の標準となる。この意味において当事者の意思に関係なく、法規としての効力を有する慣習法と異なる。何らの意思表示が存在しないにもかかわらず、事実たる慣習が存在するということだけで、契約の締結が認められるということは、論理的にあり得ない。前記のとおり、被告から原告らに対する契約締結の意思表示は全く認められず、かつ原告らから被告に対する原告ら主張のような内容をもつた契約締結の意思表示と解釈される余地のある意思表示は存在しないのであるから、何らかの事実たる慣習が存在するとしても、原告らと被告との間に原告ら主張の契約の締結を認めることはできない。原告らの主張はこの点において既に失当というべきであるが、原告らの主張する事実たる慣習を慣習法の意味に善解して、原告らと被告との間に原告ら主張の契約成立が法的確信によつて支持され、慣習法として事実上の拘束力を有するかどうかを判断するため、以下原告ら主張の種々の前提事実について順次検討する。

(一)  学院の目的と由来

学院の前身が大正六年一二月認可された養成所であり、昭和二五年三月現学院に改称されたが、養成所の学則第一条には「本所は慶応義塾大学部医学科附属病院に於ける看護婦を養成するため、看護の方法を教授するを以て目的とす」と規定していることは、当事者間に争いない。また〈証拠〉によれば、養成所の最初の学則には養成所は看護婦生徒から授業料、入学金を徴収せず(第一五条)、看護婦生徒には手当金を支給し、制服制帽しん具を貸与し、院内に寄宿させ(第一六条)、看護婦生徒は卒業の日より満二か年規定による給料を受けて、医学科附属病院の看護婦として勤務する義務がある(第一八条)と規定していること、現在も被告は、病院看護婦の主要な供給源を学院卒業生に頼つているため、病院の労働組合がたえず被告に対し、団体交渉において病院看護婦の増員を要求し、被告がこれを承諾し、その対策の一環として原告ら第五六回生からは一学年の定員を従来の四〇名から八〇名に増員したことが認められる。このことと前認定のように学院長らが学院生に対し卒業後は病院で看護婦として勤務することをしきりに勧誘していたという事実によれば、少なくとも養成所発足当時の目的は、制度的にも病院に勤務する看護婦を養成することであつたし、現在においても被告は学院卒業生が多数病院に勤務することを期待しているものと認められるのである。

しかし〈証拠〉によれば、養成所学則第一条はその後改正され、昭和一七年一月当時においては、「本所ハ看護婦ニ必要ナル学術ヲ教授シ且ツ実務ヲ練習セシムルヲ以テ目的トス」と定められていること、また看護婦生徒から入学金授業料を徴収せず、これに手当金を支給し、二年間の義務年限(昭和一七年一月当時は一年六月と改正されている)をおくなどの規定は、昭和一五年一一月二〇日施行の労務者募集規則、昭和一七年一月一〇日施行の労務調整令および同令施行規則に定める労務者募集または雇用契約となり、学校の生徒募集と趣を異にすることになるので、これを改正して養成所を純然たる学校として生徒を募集して入学させるようにするため、昭和一七年六月二〇日に授業料、入学金を徴収しないという規定を授業料を徴収するように改め、また手当金、看護衣などの支給貸与の規定および卒業後の義務年限の規定を削除したこと、学院に改称後昭和二五年四月一日から施行された学校規則によれば、その第一条に「本院は甲種看護婦に必要な学術技能を習得させると共に女子に必要な高等教育を施すことを目的とする」と定め、学院生からは入学金および授業料を徴収することを定め、学費貸与に関する規定があるが、その外には手当金貸与などの規定および卒業後の義務年限の規定を設けていないこと、現行学院規則第一条は、「本学院は、慶応義塾の教育方針にのつとり独立自尊の気風を涵養し看護婦に必要な学術技能を習得させることを目的とする。」と定めていること、学院入学志願者に対しては、通常の学校と同様に学科試験、面接および健康診断につき選抜考査を行い、合否を決定しているが、その合否の決定については病院の看護婦としての適性の有無を顧慮していないこと、また学院生の卒業後の進路は自由であつて、病院勤務を強調するような学院の規定や風潮は全く存在しないことが認められる。

以上認定のような学院の目的や制度の変遷の経緯に照せば養成所発足の当初の目的や当時の学則の諸規定にもかかわらず、現在の学院は、一般的に看護婦に必要な学術技能を習得させることによつて、看護婦の養成を目的とする通常の学校であつて、病院に勤務する看護婦の養成を主たる目的とするものではないと解せざるを得ない。現行学則第一条は、学院の教育方針として慶応義塾の教育方針にのつとることを定めているが、学院が被告により設置された学校であることから見れば、それが被告の教育方針を採用することは当然のことであつて、これをもつて学院が被告の経営する病院の看護婦の養成を目的とすることの根拠とすることはできない。そうすると、原告ら主張のような目的が学院生と被告との間で法的確信をもつて支えられているということも困難である。したがつて、これらの事実から、学院生と被告との間に原告ら主張の契約が慣習法として成立していると認めることはできない。

(二)  学院生の処遇

(1)  便宜的処遇

〈証拠〉によれば、被告の昭和四三年度収支予算表によると、学院の収入(入学金、授業料など)は金二、八六五、〇〇〇円であるのに対して、その支出は金三八、九七九、〇〇〇円であつて、差引金三六、一一四、〇〇〇円の支出は被告の他の収入によつて賄つていること、学院生は入寮することができるが、学院は寮生からは寮費および食費を徴収せず、食費は予算上学生賄費として支出の部に計上されており、その予算額は、昭和四〇年度は金九、七五二、〇〇〇円、昭和四一年度は金一一、〇六七、〇〇〇円、昭和四二年度は金一三、三二五、〇〇〇円、昭和四三年度は金一二、一五二、〇〇〇円であること、学院生に対しては奨学資金が貸与されることになつており、学院生は大部分その貸与を受けているが、昭和四二年度からは、学院卒業後三年間病院に勤務すれば、在学中に貸与を受けた奨学金の半額の返還債務を免除される定めになつていることが認められる。

これによれば、経済的には、被告は学院生に対して多額の利益を供与して看護婦の養成をしているのであり、被告と学院生との間は、いわば反対給付を伴わない一方的な給付類似の関係にある。被告が公共性を有する学校法人であることと前認定のような学院学則第一条の目的を考慮に入れても、被告としては、学院卒業生が病院に就職するのを期待して、学院生にこのような利益を供与しているものと解されなくはない。しかし、このことが当然には、学院生と被告との間で、原告ら主張のような契約が法的確信によつて支えられているという推論を導くものではない。原告ら主張の契約は、原告らの一方的な就労の意思表示によつて、自動的に被告と原告らとの間に労働契約が成立し、または被告がこれを承諾すべき義務があるという契約である。それは原告ら学院生の随意的な意思の発動により、被告の意思にかかわりなく、被告が債務を負担するといういわば契約締結上の片務的な契約である。このような契約が、ある社会の法的確信によつて支えられる慣習法として存在するためには、一般的に言つて、債務を負担する側にそれを受認しなければならないような相当な事情が存在しなければならないものと解すべきである。しかし前認定のような事情は、むしろそれを否定する要素であつて、これを肯認させる積極的な事実ではない。けだし、社会生活上ある人が相手方にある種の利益を与えれば、その利益に相当する対価を相手方に期待するのが社会通念に合致する。被告としては、原告らに利益を供与し、原告らはこれを受けていたのであるから、原告らからこの利益に相当する対価の提供を期待しても非難さるべきではない。例えば、法律上の制約を論外とすれば、被告が原告らに対して一方的に意思表示をすれば、原告らが病院に勤務する債務を負担するなどの契約があるというならば、両者間の均衡を得て合理的である。これに反して、被告は、便宜供与をしながら、卒業後は原告らの一方的意思表示により、好むと好まざるとにかかわらず、原告らと労働契約が成立し、または雇用承諾の意思表示をしなければならないというのは、前記のような論理に反し、合理性を欠く。前認定のような看護婦不足の状況の下においては、労働契約の成立は一見被告側の利益のように思われるが、労働契約のように対人的信頼関係を基礎とする契約の締結においては、使用者側においても、労働者の採否について全く選択権を行使する余地がなく契約締結を強制されることは、決して有利なことではないからである。したがつて、前記のような学院生に対する処遇の事実をもつてしては、原告ら主張の契約が学院生と被告との間に慣習法として成立していると認めることはできない。

なお、前認定によれば、病院に三年間勤務した者は奨学金の半額の債務を免除され、そうでない者は全額返済の義務を免れないわけであるが、半額返済を免除されるのは全く恩恵的なことであり、奨学金が貸金である限り、これを全額返済する債務を免れないことは当然である。したがつて、返済を免除されないことによつて就労が強制されるのが学院生の不利益であるという論理は成り立たないから、これをもつて原告ら主張の契約の存在を推認する事実とすることはできない。

(2)  学院生に対する授業と実習の状況

〈証拠〉によれば、学院は、学院生に対して、慶応義塾史の講義をし、教材として福翁自伝を使用し、音楽の授業内容として慶応義塾看護婦の歌など義塾関係の歌唱を教授し、また福沢諭吉誕生記念日を休業日と定めていること、学院生は精神病科と伝染病科以外は病院で臨床実習をするが、その実習の内容は産科においては病院が採用している慶応式と称せられるもので、産婦の指導と乳児の扱い方が独特のものであつたことが認められる。しかし私立学校は、その設立、歴史、伝統などからそれぞれ特色を有しているから、その授業内容などにおいても、他校に見られない独特のものがあつても、それが教科内容として著しく不適当なものであることが明白なものでない限り許容さるべきである。学院が被告によつて設置された学校であることから見れば、学院が前認定のような内容の授業をし、または休業日の定めをしても、別段学院の目的から背馳する特異なことということはできない。また学院生に対する臨床実習が看護婦としての技能習得上当然必要なことは言うまでもないところであり、このため同じく被告が設置する病院を利用し、病院が採用している看護方法を教授することも、極めて自然なことであつて異とするに足りない。他に最良絶対の看護方法があるのに、これを排斥して特に病院だけに通用する劣悪な看護方法を学院生に教授しているという証拠はないからである。のみならず、〈証拠〉によれば、前記慶応式と呼ばれる産科の看護方法も、東大式と呼ばれる方法とは異なるが、他の病院で適用しないようなものではないし、臨床実習において学院生は病院看護婦と同一の労働を提供するものではなく、かえつて病院側は各科ごとに原則として一名の看護婦を学生係に指名して実習の指導にあたらせていること、臨床実習は、学院規則と臨床実習指導要綱に基づき、同要綱に定めるところの理論と実際の結びつきを学ばせ適切な看護ができるように指導するという目的を達成するために行われているものであり、病院に病床のない精神病科および伝染病科の実習は、他の病院に委嘱して行つていることが認められる。そうすると前記授業および実習の状況をもつてしても、学院が特に病院のみの看護婦に適応するような看護婦を養成するための教育を行つているものとは認め難いから、これは原告ら主張の契約が慣習法として成立しているという事実を推認させる資料とはならない。

(三)  学院卒業生の進路

第五一回ないし第五五回学院卒業生で病院に採用を希望した者は、全員病院看護婦として被告に雇用されたことは、当事者間に争いない。これによれば、原告ら学院生は、卒業後病院に就職を希望すれば、例外なく雇用されるものと信じていたものと推認されるし、またそう信ずるのも無理からぬことと考えられる。

反覆される社会的行為は慣行である。慣行は、自然発生的に慣行律に成長して社会生活を規律するようになるが、慣行律すなわち慣習法ではない。慣習法というためには、慣習律が社会の法的認識によつて支持される程度に達しなければならない。被告が過去五回の卒業生にして病院就職を希望する者全員を採用していたということは、正に被告と学院卒業生との間に存在した慣行である。しかしこれが慣行律の域をこえて慣習法の成立として認められるためには、契約当事者の一方である原告らだけが、過去に反覆された学院卒業生の病院看護婦の雇用という慣行を法的確信をもつて支持しているだけでは足りず、他方の契約当事者である被告もこれを法的規範として承認している場合でなければならない。

学院入学志願者の合格の決定については、病院の看護婦としての適格性の有無を顧慮しないこと、学院生の卒業後の進路は自由であつて、病院勤務を強制するような制度や風潮が全く存在しないことは、前認定のとおりである。そして〈証拠〉によれば、病院は、毎年度の予算編成において、病院看護婦の定員を予算上確定し、将来の退職などを見越した不足分の看護婦を学院卒業生のみならず広く一般からも募集しているが、看護学雑誌に掲載した看護婦募集広告には募集人員を明示していること、昭和四四年度について見れば、当時の予算定員上の看護婦数は五八一名であり、同年五月において定員より三〇名不足する状況にあつたが、同年四月卒業予定の学院卒業生は約八〇名であるから、この全員が病院就職を希望しても、予算上全員の採用は不可能であること、このように病院看護婦の定員または採用予定人員は、学院卒業生の数とは関係なく決定されていたこと、一方学院生にしても卒業後の進路は自由であつたため、進学したり、病院外に就職する者も少なくなかつたこと、例えば原告らより一期前の五五回生の場合は、三四名の卒業生のうち二七名が病院に就職し、その外は他の病院へ就職したり、進学をし、原告ら五六回生の場合は、卒業予定者七四名中病院へ第一次的に就職を希望した者は三九名であり、被告はこれらの者について再度面接を実施し、原告らを含む五名を不採用とし、その他の者を採用する旨決定したが、結局最終的に被告病院に就職した者は二六名であつて、それ以外の卒業生は他の病院などへ就職したり、進学したりしたことが認められる。この事実によれば、少なくとも被告は、学院卒業生にして病院へ就職を希望するもの全員を採用しなければならないという法的確信を抱いていたものと認めることはできないから、前記の病院が反覆して看護婦を採用したという事実だけでは、これが慣習法として成立していると解することはできない。

四以上のとおり、原告らと被告との間には、原告らが主たる請求原因において主張するような労働契約の成立が認められないのであるから、この契約の存在を前提とする主たる請求(労働契約上の権利確認および賃金等支払請求)はいずれも失当である。また原告らと被告との間には、原告らが予備的請求原因において主張するような被告の承諾義務を内容とする契約の成立は認められないのであるから、この契約の存在を前提とする予備的請求(採用の意思表示を求める請求)は失当である。

被告は、原告らを採用する義務すなわち原告らの労働契約締結の申込みを承諾する義務を負わないのであるから、その申込みを承諾せず、原告らを採用しなかつたことは、債務不履行とはならない。

したがつて被告は、債務不履行の責を負わない。

憲法第一四条は、信条による差別を禁止し、同法第一九条は、思想および良心の自由を保障している。右規定は、本来は国家(国家機関)が信条によつて国民を差別し、または国家が国民の思想および良心の自由を制限したり、禁止したりすることを禁止しているのであつて、私人相互の関係は、直接には右各規定の関与するところではない。ただ憲法は、勤労の権利を認め、勤務条件に関する基準を法律で定めるべきものとし(第二七条)、社会権として勤労者の団結権および団体交渉権などを保障している(第二八条)。これに基づいて、労働基準法第三条は、使用者は労働者の信条を理由として労働条件について差別的取扱をしてはならない旨規定している。憲法第一四条の信条による差別禁止と同法第一九条の思想および良心の自由の保障の精神は、労働基準法第三条の均等待遇の規定に具現して、私人相互の法律関係を規律する規範として実定法的拘束力を有するのであるから、右規定にいう労働条件にあたる限り、私人たる使用者が労働者の信条(思想および良心を含む)を理由として差別的取扱をすることは禁止される。かかる行為は、右規定に牴触するが故に違法であり、またそれが法律行為であるならば、その効力は否定されざるを得ない。しかし、労働者の雇入行為が右規定にいう労働条件という要件に該当しないことは、既に述べたとおりであるから、仮に被告が原告らの信条を理由として雇入を拒否したとしても、その雇入拒否行為は違法性を欠く。したがつて被告は、不法行為の責も負わない。念のため付言すれば、本件採用拒否が妥当かどうかは、法律効果発生の要件事実ではないから、当裁判所の関知すべきことではない。

五よつて原告らの請求をいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。(岩村弘雄)

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